公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 臼杵・南部地域
- 名称
- 八坂神社の狛犬(やさかじんじゃのこまいぬ)
- 所在
- 臼杵市大字臼杵祗園南
- 備考
- 平成6年1月調べ
- 説明
- 犬は人類最古の友ともいわれ、日本でも縄文時代の集落遺跡からその骨が出土することがあるなど、太古から人間の最も身近な動物として愛されてきています。
犬が人々に愛される理由は様々でしょうが、忠犬ハチ公の例を引くまでもなく、その忠実さや責任感の強さ(例外も多いようですが)が人間の目に好ましく映ることが挙げられるでしょう。また、多くの家庭で愛玩の目的のほかに、家を護る番犬としても飼われているように、人間を守ってくれる動物であることもその一つに数えられるのではないかと思います。
私たちがよく神社で見かける狛犬も、神殿を守る守護神として知られています。犬のこうした性質がモチーフとなって生まれた存在とも考えられますが、ルーツをたどるとどうやら元々は中国の漢の時代に廟所(神殿)の前に石彫りの獅子を置いたことに始まるそうです。それが平安時代に日本へ入ってくると、形が犬に似ていたためもあり、狛犬(狛は朝鮮半島の高麗国の意)と呼ばれるようになったと考えられます。
狛犬は一対のもので、一方が口を開き、一方が閉じるという阿吽形が一般的です。現在見られるような石製のものは江戸時代に入ってから多くなり、それ以前は木彫りのものが多かったようです。
八坂神社神殿に置かれてある狛犬は、臼杵では珍しい木彫りのもので、江戸時代初期のものと伝えられています。狛犬が木彫りから石造のものへと遷り変わるころのものとしての価値もさることながら、この狛犬については次のような趣深いエピソードが伝えられています。
寛永八年(1631)のこと、臼杵藩主、稲葉一通が参勤交代の際に野村武左衛門という弓の達人がその供に加わっていました。大阪へ向かう御座船が風待ちで佐賀関沖に停泊中、やはり風待ちをしていた肥後藩主、細川越中守と共に退屈しのぎの宴を楽しんでいたときのこと、ついつい一通は細川候に「自分の家臣に野村という、一町(約百十m)先の的を射抜く家臣がいる」と自慢を始めたのです。細川候が是非その腕前を見たいと願ったので、一通は武左衛門に海に浮かぶ鴨を一矢で射止めるよう命じたのです。
武左衛門は氏神である八坂神社の神に祈りを込め、見事成功させました。のち江戸から帰参した彼はその御礼として八坂神社に朱塗りの狛犬を奉納しました。これが今に伝わる木彫りの狛犬なのです。
武左衛門は鴨射の成功のあと一通に謁見してその候を労われたのですが、その席上で彼は一通に「あのときは氏神に祈願し幸い成功したが、万一失敗した場合は切腹ものである。家臣一人の命と鴨一羽を同等に考えられるようなことは今後慎重にしていただきたい」と諫言したと伝えられています。
一通もまた人望厚い殿様であったようで、武左衛門の忠義の念からの言葉をよく理解し、その非を丁寧に詫びたと言われています。
武左衛門が狛犬を奉納したのも、あるいは家臣としての勤めを全うしようとする信念の顕れなのでしょうか。そこからは理想的な主君と家臣の関係を希求し、それに徹しようとする寛永古武士の有様が見えてくるようです。