公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 中臼杵・南津留地域
- 名称
- ふとり権現(ふとりごんげん)
- 所在
- 臼杵市東神野
- 備考
- 昭和56年9月調べ
- 説明
- 深い緑に囲まれた谷あいの狭い道を奥へ奥へと進んでいくとやがてやや開けた盆地に出ます。ここ東神野の宮本地区には昔から地域の人たちに親しまれ、崇め祭られてきた「ふとり権現」の社があります。正式には、熊野神社という名称で、上宮と下宮の二社が祭られています。このうちの下宮が「ふとり権現」と呼ばれているものです。
「ふとり権現」の由来は、御神体である灰白色をした鍾乳石が、長年にわたって少しずつ大きくなっていったところからこのような名で呼ばれるようになったものと思われます。社の中の御神体は、今にも天井を突き破って空に向かいそうなほど大きくなっています。
また周囲には樹木がうっそうと生い茂り、幹まわり5m以上で樹齢は数百年も立っていようかと思われる御神木のようなものも多く、歴史の深さを漂わせています。
熊野権現というのはもとも神秘感あふれる山岳信仰にその源を発し、山にこもって修行を行ったものですが、平安時代末期に神仏習合して、浄土信仰が台頭してくると共に、権現の本当の姿は阿弥陀であると称して貴族や武士、庶民の間に広く信仰を集めました。
古代・中世における東神野地域は交通・軍事の要所として、又周囲が非常に神秘的な場所であったため、この地域を掌握していた豪族によって勧請されたものと思われます。
毎年四月十二日に近い日曜日には、豊後の国主大友能直が神野の熊野権現を氏神として参拝した際に奉納されたといわれる鞍馬流棒術の型が風流杖踊りとして今日まで伝えられ、春祭りには神社に奉納されています。