公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
写真=『享保史捷』(寛延3年9月朔日)に登場する「六ヶ迫」(赤線部分)の記録
- 地域
- 下北地域
- 名称
- 六ヶ迫鉱泉(ろっかさここうせん)
- 所在
- 臼杵市六ヶ迫
- 備考
- 昭和62年7月調べ
- 説明
- 熊崎川の上流に位置する大坪地区からその支流である六ヶ迫に沿って狭い谷間を走る県道臼杵・坂ノ市線を五分ばかり車で進むと、道の右手(東端)に迫っていた山の端の線が途切れ、狭い谷間が急に開け、あたりの緑に溶け込んだような閑静なたたずまいを見せている二階建て、三階建ての木造家屋が目に入ってきます。ここが知る人ぞ知る隠れた湯治場、六ヶ迫鉱泉です。
六ヶ迫という名の由来は、定かではありませんが、言い伝えによれば元文年間(1736~40)に、一羽の白鷺が足を痛めてこの谷に飛んで来て、谷川に十七日間浴し、傷癒えて飛び去ったことにちなみ、この名が付いたと伝えられています。
また、鉱泉の最初の発見者は、多福寺七世を継いだ西江禅師であるといわれています。禅師はある時霊夢を感得しました。それは、ここから一里ばかりの谷間に薬水が湧き出している。この水は諸人の病に大きな効力があるからそれで人々を救えというもので、しかも十七日間連続して同じ夢を見たので、直ちに探して発見したということです。
時に寛延三年(1750)、臼杵藩主泰通公(九代)が病に伏しておられたので、禅師はこの鉱泉を奉納したところ、たちまち全快したということです。泰通公は、西江禅師に命じて薬師堂を建立し、湯治場とするに至ったということです。
現在、六ヶ迫には上と下の二ヶ所に旅館がありますが、江戸時代には上だけが湯治場となっていました。下は明治八年に同質の鉱泉が発見されてから湯治場となったものです。六ヶ迫の泉質は、重炭酸カルシウムが多く含まれ、医治効用としては飲用、浴用ともに消化器系の諸症状、糖尿病、肝臓病、皮膚病などに効力があるとされています。