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大浜のえん硝蔵

公開日 2019年2月7日

更新日 2019年2月28日

 
地域
海辺地域
名称
大浜のえん硝蔵(おおはまのえんしょうくら)
所在
臼杵市大浜
備考
平成6年9月調べ
説明
今からちょうど百年前のこと(明治二十七年=1894)、日本発の近代的な博物館建築である帝国奈良博物館本館(現、奈良国立博物館本館。国指定重要文化財)が完成しました。
この建物は、宮内省技師の片山東熊(かたやまおとくま)の設計によるルネサンス様式を基調とした西洋風の建築で、外壁にはレンガと石が貼られた、まことに優雅なものです。この後片山は、明治の末までに帝国京都博物館本館、東京帝国博物館表慶館といった西洋風の博物館建築の設計を手がけますが、西洋の近代建築を充分に学んだ彼の博物館建築設計思想の中に、常に変わらぬ一つのモチーフがありました。それは何と、日本古来の土蔵であったのです。
博物館建築の基本は、なんといっても展示品・収蔵品を現状より傷めたり変質させたりすることなく、より美しい状態で鑑賞、保管できる環境を保つことです。そのため館内外の設計にあたっては、館内の温度と湿度が安定していて換気が充分になされ、紫外線などの有害な光線の影響を受けないように、などの配慮が必要とされます。日本の土蔵はこうした条件をほぼ満たすものであったのです。このため片山ら当時の技術者達は、土蔵建築の効果に大きな信頼を寄せていたので、明治中頃にはすでに実用化されていた機械式空調設備を敢えて採用しなかったといわれています。
四季の変化がはっきりしていて、四季による温湿度、太陽光線の角度の変化が激しい日本にあって、厚い土壁と高い床張りの土蔵は、物を保存するにふさわしい安定した環境を保つのにはもってこいの建物です。日本全国どこを歩いてもこの土蔵を数多く見ることができ、様々な用途に使われていることは、日本人がいかに土蔵に信頼をおいているかという証ともいえましょう。
私たちの臼杵市にも、現在、土蔵建築は200軒以上残っているそうです。(臼杵デザイン会議調べ)。その用途も個人の倉庫から醸造蔵までとさまざまですが、中でも珍しいものはえん硝蔵でしょう。これは大浜地区に現存する、江戸時代の火薬庫です。
臼杵藩の日記「御会所日記」によると、この土蔵は寛政四年(1792)に完成したとあります。それまでは門前地区に蔵があったということですが、大浜えん硝蔵の完成と同時に、火薬を大浜へと移したとの記事がこの日記に書かれてあります。
えん硝蔵は黒色火薬(硝石、硫黄、木炭を混ぜて練り上げた火薬)のことで、当時は火縄銃の弾丸を発射させる火薬として主に使われていたものですが、湿気に非常に弱いという性質があるため、保管にあたっては十分な注意が必要でした。また、火薬それによって自然発火を起こして大事故につながる可能性もあります。類は温度変化に敏感であり、この点、安定した環境を保つ土蔵は当時としてはうってつけの火薬庫であったといえるでしょう。
物を長期間、その性質を変えずに保管することは、旧石器時代以来、今も変わらぬ人間の課題の一つでしょう。その中で日本の気候と風土に合い、機械力に頼らずとも多くの種類の物の保存に適する土蔵は、日本人の文化の象徴的存在といえないでしょうか。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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