公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- 臼杵の名石工(うすきのめいいしく)
- 所在
- 備考
- 昭和60年4月調べ
- 説明
- 臼杵では、軟らかく、加工の施しやすい凝灰岩が豊富に取れることもあってか、古くから多種多様な石造物がつくられています。臼塚・下山両古墳の石甲(石人)や石棺をはじめとして、日本の石造美術の最高傑作とまで称されている臼杵磨崖仏、さらに宝篋印塔・鳥居・石橋など枚挙にいとまがないほどの石造物が市内の至る所にあります。素朴ながらも石の持つ力強さを最大限に表現したもの、逆に、石の硬さや強さを感じさせず、まるで木彫りではないかと目を疑いたくなるほどの軟らかさを表現した石造物などに出会ったとき、これらを製作した石工の腕の冴えや技術の高さを伺うことができます。すばらしい石造物を作り出した腕のよい石工を生み出す要因として、本人の才能はもとよりですが、技術を磨くに足る素材(凝灰岩)が身近に充分にあったことも関係していたのではないでしょうか。
臼杵で名の知れた石工の一人に大野村に住んでいた「折平」という人物がいます。江戸時代の文化・文政期(1800年代の初め頃)にすぐれた石造物を作り、その技術の高さから名石工として、また、義に厚い豪気の人として、広く知られていました。文政二年(1819)岩崎陣房が家野の田に水を引く用水路を作るため岩盤の掘削工事をしていましたが岩盤が固く、どうしても掘り抜けず難儀していました。そこへ折平があらわれ、工事の手助けをし、見事に難工事を終わらせたというエピソードは有名です。
下ノ江地区浦の「天神社」境内には、文化六年(1809)彼が三十四歳のときに作った均整の取れた見事な石燈籠があります。
弘化二年(1845)七十歳で彼は世を去っています。その墓所は大野の原にあります。