公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- お遍路と清涼の滝(おへんろとせいりょうのたき)
- 所在
- 鎮南山(山庵周辺)
- 備考
- 昭和63年8月調べ
- 説明
- 現在のようにどこに行くのも自由で、しかも交通網が整備されている時代では、好きな時、好きな乗り物に乗って、誰の制約を受けることもなく旅をすることができます。
しかし、今から百二十年前の江戸時代にあっては、気軽に旅をしたり、物見遊山に出かけたりするなどということは許されていませんでした。同じ日本の国内であっても、自分がすんでいる藩内の町や村から離れて外の藩領へ旅する場合は、そのつど藩庁へ届けを出し、許可を得なければなりませんでした。
自国を離れ、勝手に旅行することが難しかった時代ですが、信仰のため伊勢宮や西国三十三ヶ所観音霊場、四国八十八ヶ所霊場を巡拝するたびに出ることについては、比較的大目に見られていたようです。
一口に巡礼の旅に出るといっても当時としては大変な苦労が伴うもので、日数もかかれば、お金もかかりました。加えて霊場といわれるところは難所が多く、実行は命がけであったとも言われています。したがって、巡礼の旅に出ることができる人たちは、おのずから限られていたわけです。
そこで、巡礼の旅に出られない人々のために西国三十三ヶ所観音霊場や四国八十八ヶ所霊場の縮小版ともいえるものをつくり、この縮小された霊場を巡れば、実際に巡拝したと同様、霊験あるものとして信者への便宜をはかっていました。
臼杵にも三ヶ所、縮小版の霊場があります。一つは、小出の観音堂を第一番の札所として享保八年(1723)、旧海部郡内に設けられた観音霊場、二つ目は、寛政十年(1798)田井ヶ迫の歓喜院境内の山の斜面に三十三体の石仏を安置して霊場としたもの、三つ目は、鎮南山本峰西側に位置する山庵寺を中心として周囲の山間や岩場に八十八体の尊像を安置し、天保年間(1830~1843)に開かれた四国八十八ヶ所霊場があります。
中でも、この八十八ヶ所霊場は、山庵寺周辺の変化に富んだ佳境を巧みに利用しており、谷間の清流のせせらぎとも相まって、一種独特な霊域としての雰囲気を醸し出しています。山庵寺から孟宗竹の生い茂る山道を下り、小さな谷川にかかる石橋までたどり着くと、その下方に清流を集めて落ちる高さ3mほどの滝があります。
一心不乱にお参りを続け、ふと静寂の中に聞こえる涼やかな滝の音を耳にした信者達は、張り詰めていた心の中につかの間の安らぎを感じたのではないでしょうか。