公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- 石臼(いしうす)
- 所在
- 備考
- 平成元年11月調べ
- 説明
- 科学技術の進歩は、あらゆる分野に大きな影響を与え、その技術導入によって人々の生活の中に多くの便利さや快適さを生み出しています。その一方で、長い年月にわたって、私たちの先祖の生活の知恵と経験とによって生み出されてきた、伝統的文化あるいは伝統的技術といったものが、新技術の導入によって生活の表舞台から追い出され、なんとも人間臭さが強く感じられる「文化」や「もの」が、その姿を失っていったことも事実です。その傾向は、「もの」について顕著にあらわれています。「もの」の中でも、私たちの生活と深く関わってきた道具類に多く認められます。
これからお話する「石臼」はその最たるものと言えるでしょう。昭和の初期くらいまでは、精米や精麦といった仕事は家庭での仕事であり、どこの田舎へ行っても、それに使う木の臼や杵がほとんどの家に必ずありました。その仕事も水車や電動精米所によって専業化すると、もちつき用の臼と杵だけが残るという結果を生んでいます。また、木臼のほかに粉挽き用の石臼もありました。
だんごやうどん、そば、豆腐などといったものは、この粉挽き臼からつくり出されたものでした。単調な食生活に変化を与えるのに粉挽き臼によった粉食は非常に重要な役割を果たしていました。こうしてつくられた粉を加工してつくってもらうおやつは、子供たちにとっては大きな楽しみの一つでした。
しかし、ここ二十数年間における食生活の大きな変化と機械化の進展は、人々の労力によって動かす道具やその道具によってつくり出された粉食を家庭や食卓から消し去ってしまいました。
今日、石臼を家庭で見かけるとすれば、敷石や踏台、あるいは漬物石として利用されているか、さもなければ庭の隅に転がされているのを見るだけと言っても過言ではないでしょう。
現在では、このようにほとんど無用の長物と化してしまった石臼ですが、その出現の歴史は古く、わが国では七、八千年前の縄文時代前期から、今日、一般的に臼と呼ばれているものの原形となった石器が使われています。
それは、長径が三十cmほどの扁平な石と磨石と呼ばれる拳大の丸い石です。扁平な石の上にトチやシイ、カシ、クルミといった実を置き、磨石で割って中身を取り出し、それを磨石ですって粉にし、水などにさらしてあくを抜き、粉食として用いていたようです。
こうした石器は、臼杵市内にある縄文時代・弥生時代の遺跡からも出土しています。この時代から食料の一部を粉にし、それを加工して食物としていたことがうかがえます。
その後、時間の経過とともに石に手が加えられ、丸い石の表面に溝が刻み込まれ、刻みのある面をすり合わせて、より目の細かい粉をつくり出す石臼がつくられていきました。
臼を使う労働の中からは、粉挽き唄、臼挽き唄、もちつき唄、ひえつき唄などといった唄も生まれ臼を挽くというきつくてつらい仕事ながらも、汗水たらして働き、ものをつくることの喜びと大切さを唄は教えてくれるようです。